後悔

後悔先にたたずというが、先にたってくれたらどんなに便利か。

私の後悔は、中学生にさかのぼる。
親のいいなりになって、高校を決めたこと。
からしたら、大して中学の時も高校の時も勉強してなかったというが、もっと遊びたかった。
友人とダベる一見無意味な時間はその時にしか、とれない。
親の期待など、答える必要はなかった。
ただ、これは、良き教訓を残した。
人のいいなりになった所で、意味はないと。
しかしながら、これは、利害関係のある相手では、違ってくる。上司や取引先、同業者の先輩のいうことを聞かなければ、賃金が発生しなかったり、旨味のある話はやっては来ない。

ピアノも弾けるようになる必要はなかった。
金にならない。
弾けていいねと、言われる時、良かったと言われる時程虚しく感じる。
『だけど、私貴方より年収引くいんです』
と、心の底でただ、ただ思う。

金にならない努力は、全て無駄である。

努力すれば、する程、ただ、虚しさだけが残る。

人の笑顔で、腹は膨れない、心が満たされるわけではない。心が満たされると、心から言える人は、まず、衣食住が満ち足りた人だ。
『衣食足たりて栄辱を知しる』とはいったものだ。
金のない人間が、いくら『人の笑顔で満たされる』などとほざいた所で、キレイ事、現実逃避、もしくわただの虚栄心であろう。
金のない人間は、『人の笑顔では、腹は膨れない』と堂々と言っていた方がよほど、潔い。
金になるのかならないのか、見極めること。
金にならない努力は、しないこと。
私の後悔は、その二つをとりあえず、教えてくれた。
そう考えて、ゆっくり昇華させていかないと、私はいずれ、廻りを壊すか、自分を破壊してしまう気がする。